写真とその周辺

写真とその周辺/牛馬童子 ー 熊野古道中辺路

2004年の年も明けたころ、ふと思い立って熊野古道にある「牛馬童子」(ぎゅうばどうじ)を見に行った。このところ和歌山県の新宮市と田辺市を往復する機会が多かったので、頭の片隅でどことなく気になっていた場所だからだ。私はこの田辺に生まれ新宮に育った。そんな環境であったからか熊野の街道とか熊野三山というものはごく身近なものでもあり、それでいてあまり意識もしないような存在でもあった。田辺市という町はまさに熊野への入口であり、新宮市は熊野地方の真っただ中でもある。しかし熊野の古道としての名残りを意識して訪れたのはこれが始めてのような気もした。

熊野を目指す道は、大阪から紀伊路を下り、田辺市から山の中を熊野本宮大社へと向かうのが中辺路(なかへち)であり、田辺市から海岸に沿って熊野那智大社や新宮市の熊野速玉大社に至るのが大辺路(おおへち)、伊勢から海岸に沿って熊野への道が伊勢路、高野山から熊野本宮大社への山中の道が小辺路(こへち)、吉野から熊野本宮大社への道が大峰奥駈け道であり、これは修験道の道でもある。この中で紀伊路から中辺路を進み本宮大社に至る道には100近い王子が置かれている。「熊野九十九王子」と呼ばれているもので、「王子」とは「社」であり熊野権現の御子神をまつったものである。

牛馬童子は熊野古道中辺路の近露(ちかつゆ)近くの箸折峠にある。この石像は花山法皇の熊野詣姿を表したものと言われているもので、高さ50cmほど、牛と馬にまたがった姿が独特の雰囲気を持ち中辺路の人気者でもあるようだ。牛と馬の意味については、「苦しいときには牛のように粘り強く、楽な時は馬のように軽快に」と熊野詣の歩き方を教示していると書かれたものもあります。この後ろには宝篋印塔かあり、すぐ右側には役行者像が並んでいる。

牛馬童子

現在の牛馬童子のある付近は杉の植林に囲まれた場所であり、木々の隙間から射す光が、時間とともにその場所を変えていく。私はこの石像を2日ほど、少し時間を変えて撮影したが、撮影しながらも昔しここを旅した人々何を求めながら、どんな風にこの道を歩いていったのだろうか考えていた。今のように手軽に移動できない時代や求めるものが違ったであろう時代に、苦労してこの熊野の山の中に目指したものは何だったのだろうか。

古代から中世にかけての本宮、新宮、那智の熊野三山を目指す詣には、深い森や谷、それから延々と続く山々やそこに起こる気象など、深く理解し難いものとしての自然そのものへの崇拝がその根底にある。もう少し熊野古道を覗いてみることによって熊野の魅力を写真として捉えてみたいと感じた。

2004年1月10日 写真とその周辺/井口育紀

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